私のニコアンにたどり着く人は、
「禁煙セラピー」でもやめられなかった、
という人が多いです。
私も読んでみましたが、理由は明白ですね。
作者のアレン・カーさんは、自身がヘビー納税者だったのですが、
禁煙に「成功」したので、その方法を本に書きました。
ところが、禁煙に「成功」というのが実は錯覚なんです。
これは、
「本当はタバコを吸いたいんだけど、ガマンを続けている」
状態なのです。
つまり、
「自分はタバコをやめたんだ、やめたんだ」
というのを、ずっと自分に言い聞かせていないと、いつ吸ってしまうかわからない。
これが「禁煙」です。
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だから作者は、そんな自分を正当化するためと、タバコへの思いを断ち切るために、
「禁煙セラピー」の中で、喫煙者のことをひたすら口汚く罵るのです。
「惨めで、哀れで、不潔で、だらしなくて、可哀想な喫煙者」
こういう表現が至る所に出てきます。
そうでも言っていないと、また自分がいつタバコを吸ってしまうか、わからない。
深層心理には、そういう部分があるはずです。
また、そんな苦しい思いをしてまで、禁煙に「成功」した自分を、
「偉い、立派、崇高」
と考えている節があります。
だからこそ、いまだにタバコを吸っている人間を見ると、
「クズ、バカ、のろま」
に見えるし、そう見ることで、自分を立派な人間だと思い込むようにしているのでしょう。
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でも、これって今でいう「ヘイトスピーチ」ですよね。
外国人に汚い言葉を浴びせることで、自分のストレス解消にする人たちと同じです。
だから、それを読んだ人の多くは、
「こんな嫌味で偏狭な人間になるくらいなら、タバコやめたくない」
と思ってしまうので、禁煙セラピーではやめられなかった、という人が多いのです。
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ちなみに、これで「やめられた」という人もいます。
そういう人も、作者と同じようなニコチン・ヘイトになり、
喫煙者を口汚く罵ることで過去の自分の過ちを正当化します。
「憎しみの連鎖」ですね。