ニコアン講演の動画に、ご質問をいただきました。
[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=zinW4swayLo[/youtube]
本当だったら、みんな、簡単に、肉体的にも、精神的にも、苦痛を感じられずにやめられるはず。
苦痛を訴えている人たちがいるっていう現実を無視して、禁断症状が無いなんて決めつけることに疑問を感じる。
もし、その苦痛が「ただの錯覚ですよ」っていうなら、その「錯覚による苦しみ」も禁断症状の一つとして考えるべきではないのか?
そういう定義で考えた方が良いと私は思う。
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実際には、このあと延々と続きますが、ほぼ同じ内容の繰り返しですので。
ここまでのご質問に答えさせていただきます。
そうです、「錯覚」です。
その苦痛は、禁断症状ではなく、単なる「未練」です。
「禁断症状だ」と思うから、肉体的・精神的な苦痛に「抗おう」とし、余計につらくなるのです。
「未練だ」と分かっていれば、その苦痛を「受け入れ」そして「受け流す」ことができます。
そしてもちろん、苦痛などは「錯覚」です。別に、針を刺されてるわけでもないのですから。
そして、その錯覚による苦しみは「禁断症状の一つ」ではなくて、
「未練」の一つです。
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まあ、この動画はあくまでもダイジェスト版であり、とうぜん抜粋した部分は「釣り」です。
他のご質問に対しては、すでに本に書いてありますので、そっちをお読みください。
ご質問ありがとうございました。