新聞記者が、いかに時流から遅れているかのお手本のような記事。
徴税の手段でしかないタバコを「憩いのひととき」としか、いまだに認識できていない。
「タバコを弁護するわけでも、奨励するわけでもない」
「が」
と続く場合は、要するに弁護と奨励したいのである。
中日春秋(朝刊コラム)
古い映画を見ていると、喫煙シーンが現在とは比較にならないほど、たくさん出てくる。モノクロ映画で描かれる「刑事部屋」などを見ると白い煙がもうもうと立ち込める。黒沢明監督の「天国と地獄」など、今見れば、愛煙家でさえゴホゴホとせき込みたくなる場面もある。時代は変わった
▼体に害なすたばこの弁護も、もちろん奨励もしない。受動喫煙の害などはどう考えても間尺に合わない。半面、一服のたばこが働く者の憩いや安らぎになった時代があったこともまた事実である
▼<しんせい一箱分の一日を指でひねってごみ箱の中>。青春期の苦悩、やるせなさを切々と歌い上げる友部正人さんの「一本道」(一九七二年)の一節。その当時、財布に余裕のない若者も安い「しんせい」だったようだ
▼「しんせい」「わかば」「エコー」など、いわゆる「旧三級品」の価格を安くしていた特例を廃止することで自民、公明両党が合意した。値上げとなろう
▼現在の安い「旧三級品」のファンは高齢者が中心だと聞く。たばこ税全体を引き上げた上で特例は残すという選択肢もあっただろうに財布と相談しながら吸っていた高齢者のたばこが狙われたといえる
▼「やめればいいでしょう」。その通り。その通りだが、人生、十分に働いた方が持ったたばこを、迷った揚げ句、また、箱へ戻すような場面も見たくはないのである。