僕はたばこを吸わない。でも、禁煙ではない寛容な場所で過ごしたい

 

僕は狂信的な「ニコチン・ヘイト」ではないので、

こういう記事を読んでも、頭に血が上ることはありません。

ただ単純に、ニコチンに関する「洗脳」とか、
「都市伝説」「迷信」
「間違った(間違わされた)思い込み」
を、指摘するのみです。

なぜなら、あまりにも多いから。

その、「洗脳」されたままの人が。

しかもそれは、「吸わない人」の方に多いのです。

特に、「自分は頭がよくてリベラルだ」と思い込んでいる人。

この文章を書いた人のように、ね。


僕はたばこを吸わない。でも、禁煙ではない寛容な場所で過ごしたい

 

大宮冬洋 | フリーライター

 

「たばこを吸ってもいいですか?」

初めて入った居酒屋のカウンター席で隣の男性二人組から声をかけられた。僕はなぜか嬉しい気分になり、「どうぞどうぞ」と勧めてしまった。

周囲に気を遣ったうえで、自分の快楽を追求する。みんなが気持ち良く飲んでいるからこそ、居心地の良い店ができ上がる。それがわかっていてさりげない行動ができる客がいる店を見つけた幸運が嬉しいのだ。

僕はたばこを吸わない。だけど、「酒を飲むとたばこを吸いたくなる」人の気持ちはなんとなくわかる。僕はいい店で素敵な女性と仲良く飲むのが好きだからだ。「酒場は男だけの場所だ。女を連れてくるな」と言われても困る。露骨にいちゃついたりしない限りは許してほしい

酒場に子どもを連れてくる人の気持ちはよくわからない。たまには大人だけでゆっくり飲み交わせばいいのに……。でも、その子どもが「ここでの主役は僕じゃない。騒いじゃいけない場所だ」と認識して、寿司でも大人しく食べている限りは許せる。「将来有望だ。10年後に一緒に飲んでみたいな」と微笑ましく思うこともある。

酒場の主役である大人の男性グループにも慎みは欲しい。やたらに大声で話したり、下品な話で盛り上がり続ける「大人の男」が少なくないからだ。前者は高齢者層に多くて(耳が遠くなっているのだろうか?)、後者は3人以上のグループに多い(集団になると気が大きくなる。自分も気をつけたい)。

しかし、たばこも女性もグループも子どももお断りの居酒屋があったら入りたいだろうか。男性客がポツリポツリと離れて座って、静かに飲んでいる店。あってもいいけれど、僕は入りたくない。軍隊か厳しい男子校みたいで緊張してしまうからだ。

朝日新聞によると、たばこの国内消費量は1996年をピークに6割も減った。たばこ増税と嫌煙志向の高まりが主因だと思う。しかし、たばこを目の敵にすることで日本人の「大人度」が上がったとは思えない。禁煙の外食店で傍若無人に振る舞う客を見ると、趣味嗜好の多様性が減ることはその場所の寛容度を下げる結果になっている気もする。

携帯灰皿を持ち歩いているような喫煙家はむしろマナーがいいと思う。自分の愉しみが近くにいる他人に迷惑をかける危険性があることをよく自覚しているからだろう。嫌煙家にはこのような客観性や謙虚さは見当たらない

僕はたばこを吸わない。でも、禁煙ではない寛容で明るい場所で過ごしたい。


いろんな点で洗脳されているんですが、やっぱり根本は、

「タバコは個人の趣味嗜好」

だと思い込まされているところでしょうね。

仮にタバコが嗜好品なら、なぜ我慢できないのでしょうか?

そして、タバコが嗜好品なら、なぜ「吸ってもいいでしょうか」って人に聞くのか?

仮に「イヤです」って言われたら、どんな顔をするのでしょうか?

そして、断った人はいったいなぜ「イヤです」って言ったのか?

それは「趣味嗜好」の問題なのか、それとも「健康・安全」の問題なのか?

たとえば、政府は「放射能は安全です」と言っていますが、だったらなぜ首相がわざわざ「完全にブロックされています」なんて強調するのか?

もし東電が「汚染水、ちょっと海に流してもいいでしょうか?」と聞いてきたら、「いいですよ」って言わない人は、非寛容ってことなのか?

と、せいぜいこのレベルまで深く考えることができれば、

「禁煙を強制するのは寛容ではない」

なんて短絡的な結論には落ち着かないと思います。

でも、それは決して、この人が頭が悪いからではありません。

すべては「洗脳」の結果なのですよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です