読めば誰でも簡単に、
なんて本を書いた割に、
私はニコチンおたく(喫煙者)を、別に嫌っても憎んでもいません。
バカにはしていますが、それは中2男子と同じレベルでのバカに仕方です。
むしろ、心の底から嫌いなのが、「ニコチンヘイト」と呼んでいる嫌煙者の方です。
ただし、ニコチンおたくが発する汚染煙の理不尽な暴力にさらされた人がニコチンヘイトになるのは、これは仕方がないと思います。
問題なのは、かつて自分もニコチンおたくだったくせに、たまたま「禁煙」に成功した途端にニコチンヘイトになり、まだタバコを吸っているニコチンおたくに説教を垂れる、という構図。
これは江戸時代に弾圧を受けて棄教した切支丹が、すぐに幕府の手先となって率先して他の切支丹を拷問したという「転び伴天連」と同じです。
いわば彼らは「転びニコラー」と言えましょう。
彼ら(彼女ら)自身、またいつニコラーに戻ってしまうかもしれないという不安があるので、常にかつての自分自身と同じ立場の人間を見下し、差別し、馬鹿にしていないと自分のアイデンティティーが保てないのです。
そんな転びニコラーを見分けるためのフレーズは、
「(タバコがやめられない奴は)意志が弱い」
です。
これは裏返せば、「やめられた自分は意志が強い」ということを言いたいわけです。
が、ちょっとでもニコチンについて知ってる人なら常識ですが、タバコはもちろん「意志」なんかではやめられませんし、吸ってる・吸ってないで意志の強い・弱いを決める根拠にもなりません。
タバコを吸うということは、ニコチンという薬物の依存症なのですから、意志の力でやめられては国家が困るのです。
最近、アンチ精神医学が大流行りで、「精神薬を飲んではいけません」という論調に「かぶれて」いる人も多いですが、しかしそういう人でも、精神薬依存とニコチン依存とを「別物」と思ってる人が多いですね。
同じです。構造は。
しかし、精神薬の依存者には「可哀想」というくせに、ニコチンおたくには「意志が弱い、頭が悪い」と罵倒する、このダブルスタンダード。
実は、最も洗脳されやすいのが、こういう「かぶれる」タイプの人たちなのです。