「たばこの楽しみ奪わないで」 脚本家・ジェームス三木に聞く(上)
の続きです。
自らの不倫体験を「春の目覚め」というノートに克明に記録したことで有名な、
芸能界いちの「ニコチンエロ」こと、脚本家のジェームス三木さん。
喫煙者と「嫌煙者」の共存について語っています。
ちなみに私は「ニコアン者」なので、愛煙家でもなければ、嫌煙家でもありません。
もちろん、禁煙推進論者でもありません。
だって「禁煙」では、何も解決しませんからね。
喫煙者と禁煙者「共存は新たなルール作りで」 脚本家・ジェームス三木に聞く(下)
宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」での喫煙シーンをめぐる問題や、年々禁煙運動が広がりをみせる中、喫煙者と嫌煙者は共存できるのか。
脚本家で愛煙家でもあるジェームス三木さん(78)は「新たなルール作りも必要だ」と訴える。
公共施設や飲食店、乗り物などで全面禁煙が増え、喫煙者にとってたばこを吸う場所の確保は難しくなっている。
喫煙者と嫌煙者の共存について、三木さんは「お互いに寛容な精神が必要だ」と話す。
「たばこは吸う人も吸わない人も、どちらも被害者でもあり加害者でもある。被害者意識は誰もが持つが、加害者意識には気がつかない」と指摘。
「たばこを吸わない人は、たばこを楽しんでいる人を吸わせないという加害者にもなっている」という。
三木さんの提案する新ルールは「目印」だ。「ただ禁煙というだけでなく、嫌煙者はバッジなどの目印をつけていただき、喫煙者はその人の近くでは吸わないといった配慮は必要だ」と話す。
歩きたばこやポイ捨てなど、喫煙者のマナーが悪いのも、よく問題になっている。
三木さんは、「公共のマナーといったルールは絶対守らないといけない」とした上で、「人は必ず誰かに迷惑をかけて生きている。お互いに配慮し合えばいい」と語った。
ここまで三木さんを引き付けるのは、「たばこは人と人とをつなぐコミュニケーションツールとして重要な役割を担っている。間を取れることが特に重要だ」からだという。
たとえば他人と口論になったとき、少し間を取ることで気持ちが落ち着くことがある。「そんな間を取るときに、たばこはとても役に立つ」。
さらに「昔は、たばこは会話の糸口だった。吸わない人も社交のためにライターを持っていた」と振り返る。
最後に三木さんは「人は昔からたばこを吸ってきた。突然やめさせたり、法で規制するのはよくない。禁煙施設で最期を迎えるくらいなら、自宅で末期の一服を楽しみたい」と訴えた。
ニコチンおたく特有の、破綻した論理が面白いのですが、
あえて突っ込むのはやめておきます。
ここでは理解を深めるために、たばこの煙のことを、
東電が海に流し続けている「汚染水」にたとえて、
「汚染煙」
と読み替えてみましょう。
すると、
東電が海に垂れ流す「汚染水」同様、
喫煙者が空気中に垂れ流す「汚染煙」についても三木さんは、
「お互いに寛容な精神が必要だ」
と主張しています。
「汚染煙を出す人も出さない人も、どちらも被害者でもあり加害者でもある。被害者意識は誰もが持つが、加害者意識には気がつかない」と指摘。
「汚染煙を出さない人は、汚染煙を楽しんでいる人に出させないという加害者にもなっている」というのです。
さらに、
「人は必ず誰かに迷惑をかけて生きている。お互いに配慮し合えばいい」と語っています。
つまり、東電は確かに汚染水漏れで世界中に迷惑をかけているけど、
それはおたがいさまでしょ。
ということですね。
最後に三木さんは
「人は昔から原発に頼ってきた。突然やめさせたり、法で規制するのはよくない。放射能に気を遣って生きるくらいなら、汚染水を腹一杯ガブ飲みして最期を迎えたい」
と訴えています。
つまりこれが「ニコチンおたく」特有の、
「生き方」
「美学」
なのですから、何を言ってもムダなのです。
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