なんか、どっかで聞いたようなフレーズですね。
もちろん、もとはこうです。
「愛では、タバコはやめられない?」
いわゆる「禁煙薬」の宣伝ですね。
もちろん、「愛」なんかでタバコはやめられません。
そんなんでやめられたら、世話はありません。
よく女の人が男の人に、
「仕事と私と、どっちが大事なの?」
と聞きますが、
「もちろん君だよ!」
と言って、仕事をやめちゃったらどうするんでしょうか。
そんな男はいませんよね。
つまり「愛」と「仕事」というのは、「どっちか」を選ぶような対象ではないということ。
同じように、「愛」と「タバコ」も、比較対象にはならないんです。
「私のことを愛してるなら、タバコをやめて」
と言われたって、ムリということですね。
だってニコチンおたくは、「自分の健康」と「タバコ」という2択の場合でも、迷わず「タバコ」を選ぶんですよ?
それが、他人への「愛」なんかで、タバコがやめられたら世話ありませんよね。
じゃあ、なんだったらやめられるのか?
この広告を出している製薬会社の、禁煙薬を飲めばやめられるのか?
私は、そうは思いませんね。
というか私は、
「禁煙」
という言葉を使っている限り、タバコをやめることはできない、と主張しています。
こんなことを言ってる人間は、日本でも私くらいだと思います。
「禁煙」では、タバコはやめられないのです。
なぜなら「禁煙」とは、
「タバコをやめる」ではなく、
「タバコをガマンする」という意味だからです。
つまり「禁煙10年」という人は、
「10年ガマンしている」ということです。
たとえば、あなたの夫が、
「浮気相手に会うのを、10年ガマンしている」
と言ったら、
「そう、偉いわね」
って、褒めますか?
「まだ未練があるのか!」
って、怒りますよね。
「さっさと忘れろ!」って。
この「忘れた」状態こそが、「やめた」という状態なのです。
つまり「禁煙」では、タバコを「ガマン」することはできても、「忘れる」ことは永遠にできません。
だから私は、
「禁煙では、タバコはやめられない」と言っています。
その代わりに、
「ニコチンをアンインストールしましょう」
と、言っているのです。